大阪万博を知って大阪万博へ 3.太陽の塔内部見学
第3回目は太陽の塔の内部見学について書きたいと思います。
私にとってはとても念願だった太陽の塔の見学。
期待通り。いや期待を超えた感動がありました!
9/6の金曜日見学に行きました。
とてもよい天気! 太陽の塔も映えていました。
内部の入り口は塔の裏側地下にあります。
予約してでは入ることができません。受付を完了し、入り口を入ると私を待ち構えていたのは。。。
地底の太陽ゾーンです。
すでにもう不気味さと凄まじさを感じました。
こちらは復元されたもので当時のものではありませんが、当時の雰囲気を感じとるにはとても良いのではないでしょうか?
そしてスタッフに連れられ生命の樹ゾーンへ
半世紀前の写真や映像でしか見たことのなかった景色が目の前にありました。感動です。
生命の樹は一階部分でのみの撮影しか許されていないとのことでしたので見上げる形で写真を撮りました。
こちらも当時を再現する形で作られた部分が大体のようです。当時はエスカレーターで上へと登るようになっていましたが、現在は階段で上まで上がれるようになっています。
33種もの生き物がこの生命の樹の上にのっています。上へと行けば行くほど人類へと近づくようになっており、最初は原生類時代の生き物がいました。
パンフレットには載っている生き物たちが紹介されていました。
恐竜は当時は動いたりしていたそうです。
ブロントザウルスは当時のまま現存されており1万トンもする巨体が木の上にのっています。その話を聞いた際、私は半世紀前から存在する技術の凄さに驚かされました。
27番のゴリラも当時のままで復元されることなく展示されています。時代を感じますね。
塔の中では生命の讃歌が流れており、この塔の不可思議な雰囲気を醸し出していました。
2025年の大阪万博への思い
自分にとって2025年の大阪万博はとても楽しみなものです。半世紀で多くの技術が進化し、生まれました。50年前の万博にはできなかったこと、夢だったことが実現される万博になると思います。
万博に向けて期待は膨らむばかりですが、開催に向けて東京オリンピックのように様々な課題が残されていると思います。例えば、安全性の問題、人員ボランティアの問題など。その問題に背を向けず実行委員会の人たちが対策を練ること、緻密な計画を立てることが大切なのではないかと思います。
いま、私たちにできることがあるとすれば万博というものに興味を持ってみることなのではないでしょうか?
なかなか興味を持つということはできないですが、機会があるのであれば万博公園に行き展示を見てみるのも良い経験となると思います。
大阪万博を知って大阪万博へ 2. EXPO'70パビリオン
第2回はEXPO'70パビリオンにありました資料や写真を中心に1970年の大阪万博について書こうと思います。
EXPO'70とは
1970年の日本万国博覧会当時の出展施設であった鉄鋼館を利用し作られた博覧会の記念館です。
当時の様子のジオラマや、さまざまな記録や映像が展示されておりとても面白い内容となっておりました。
1970年の大阪万博の概要
1970年の3月15日から同年の9月13日まで行われました。会場は大阪府吹田市の千里丘陵。現在は万博記念公園のある場所で行われました。
日本で初めてなのはもちろんのこと、アジアで初めて行われた万国博覧会です。戦後、高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つイベントとして77カ国が参加し、開催されました。開催当時からEXPO'70の名で知られてきました。
戦後、高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つイベントとして開催されました。1964年の東京オリンピック以来の国家プロジェクトとして多くの企業・研究者・建築家・芸術家らがパビリオン建設や映像・音響などのイベント制作・展示物制作に起用されました。
会場周辺市街地では万博開催への整備がなされ、道路や鉄道・地下鉄建設など大規模開発が進められ大阪のインフラの発達にもつながりました。
しかしながら、1970年に予定されていた日米安保条約改定に関する議論や反対運動(70年安保闘争)を大イベントで国民の目からそらすとして、大学生らによる反対運動も行われ開催には賛否両論がありました。
しかし開催により多くの結果を残すことになりました。まず、利益としては195億円の黒字!経済効果はなんと3500億円!当時の金額からして莫大なお金が回っていたことがわかります。また、来場者数も日本人約6271万人外国人客171万人で183日間の開催日数で言うと大体1日あたり35万人もの人が訪れていたことになります。
テーマは「人類の進歩と調和」
サブテーマは
「より豊かな生命の充実を」
「よりみのり多い自然の利用を」
「より好ましい生活の設計を」
「より深い相互の理解を」
が掲げられました。
上の写真はEXPO'70パビリオンに展示された日本万国博覧会の概要についてのパネルです。
上述しましたが、来場者数は当初の目標3000万人の倍を超える約6421万人。上のパネルにも記述の通り万博初の黒字となりました。
上に書かれているのは万博の開催に携わった人です。現在でも名を知られている多くの人が万博のために力を尽くされました。
2.開催までの経緯
続いて開催までの経緯についてです。
EXPO'70パビリオンには年表が飾られていました。
約5年の年月をかけて緻密な計画が練られ、大阪万博を迎えられたことがわかります。
撤去についてもパネルが貼られていました。
万博開催当初からパビリオンは撤去し、更地にするという計画が練られていたそうです。万博終了後、会場撤去にかけた時間はなんとたった半年!
人員や天候の問題、費用等もある中こんなに短期間で行えたのにはやはり準備があったからこそなのでしょう。
EXPO'70パビリオンの見学写真
私が見学した際の写真をコメントと共に載せたいと思います。
これは当時のジオラマになります。
当時は太陽の塔の周りは歩けるよう鉄の棒ようなもので通路が作られており太陽の塔の腕の部分から外へと出られるよう繋がっていました。
当時のパビリオンの様子です。
会場330haにも及ぶ大敷地に多くのパビリオンが設置されていたようです。
到底1日では回りきれる量ではないと私は感じました。万博が終わったあと約半年でパビリオンは撤去され現在の万博記念公園のように緑が生い茂るようになりました。今でもパビリオンの跡地には当時どのパビリオンがあったのか看板が立てられています。
当時の人の服装です。
やはり半世紀前、時代を感じますね。
私が最も面白く驚いた展示物は万博から始まったものの紹介でした。現在では当たり前のように飲んだら食べたりする缶コーヒーやヨーグルト、誰もがわかるトイレの標識など万博を機に日本に浸透したものが数多くあるようです。
次回は太陽の塔内部見学の感想と2025年万博への私の思いについて書きたいと思います。
大阪万博を知って大阪万博へ 1.万博って?
こんにちは。
私は夏休みの大学の自主課題として大阪万博について調べることにしました。
その一環として、このブログを用いて万博について自分が調べたこと、見たこと、感じたことを伝えられればと思います。
私は現在大学生ですが、万博という言葉を知ってはいるものの実際どのようなものか知りませんでした。同世代の人たちの中には同じような人が多いと思います。そんな人に私が今夏に見学に行った万博記念公園の太陽の塔、EXPO'70パビリオンの写真や感想 私の考えを見て万博に興味を持ち、2025年の大阪万博を迎えていただけたらと思います。
まずはじめに万博という言葉について説明します。
万博とは何?
万博とは国際博覧会の名称のことです。国際博覧会は国際博覧会条約に基づき行われる複数の国が参加して行われる博覧会です。この国際博覧会が行われる目的は国際博覧会条約に以下のように書かれています。
「二以上の国が参加した、公衆の教育を主たる目的とする催しであって、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は人類の活動の一若しくは二以上の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門における将来の展望を示すものをいう」
すなわちは人類の文明の進歩、産業の発展を披露するために行われる祭典です。
万博には登録博と認定博の二つがあります。
登録博は最大規模の国際博覧会で1995年以降5年ごとに行われており、開催地はBIE(国際博覧会事務局)の投票で決定される。開催期間は最大で6ヶ月。パビリオンの建設は各参加国が行います。
認定博は登録博の間に各国政府が様々な目的で開催するものです。登録博と違いパビリオンは開催国が用意します。登録博と違い開催規模に厳しい制限があり長くとも最大3ヶ月の万博となっています。
1970年に行われた大阪万博は登録博であり、2025年の大阪万博も登録博として行われる予定です。
今までの万博開催国
上の画像は万博記念公園のEXPO'70パビリオンに展示されている1970年の大阪万博までの世界で行われた万国博覧会の歴史の年表です。
第2回で私が見学しましたEXPO'70について記述したいと思います!